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株式会社ニック ニック 45周年

コラム

現役ケアマネのリレーコラム【最終回】

ケアマネージャーのホンネコラム!

居宅介護支援事業所アルゴ
東京都
藤盛かなるさん

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私を「ケアマネ」にしてくれた、Kさんと見た夕陽

はじめに

今回ご縁があって担当させていただきます、藤盛と申します。東京都東久留米市で居宅介護支援事業所のケアマネとして勤務し、丸2年が経ちました。日々やりがいと面白さを感じ、楽しく働いています。

そんな私がケアマネ資格を取ったのはずいぶんと前ですが、実は居宅ケアマネとしてきちんと勤務するのは今の事業所が初めてです。元々「現場至上主義」とでも言いますか、「現場最高!現場こそ介護!」と、兼任で施設ケアマネとしての勤務を続けてきました。小規模多機能型居宅介護のケアマネをすることになった時も、現場8割ケアマネ2割、ケアマネ業務はオマケみたいなものでした。そのオマケケアマネ状態の私が「マネジメントの面白さ、大切さ」を知った、忘れられない出来事について書いていきたいと思います。

Kさんとの出会い

ニックさんから今回のリレーコラムのお話をいただいた時に、真っ先に浮かんだのはKさんのことでした。小規模多機能型居宅介護・E(以下、小規模E)の有名人だったKさん。
小規模Eは、認知症デイ・一般デイ・ショートステイ・居宅・グループホーム・地域包括が同じ敷地内にある複合施設でした。すべてのサービスにおいて「自炊型」とし、メニュー決めから買い物、調理に片づけまでを利用者さんと一緒に行っていました。

息子さんと二人暮らしのKさんは当時80代の女性で、小規模Eにほぼ毎日通うか宿泊をしていました。ご本人は「仕事に来ている」と思われていて「何かやることないですか?」といつも聞かれ、入浴で出た洗濯物を畳んで各部署に届けに行ったり掃除をしたり、複合施設のどこに行っても「Kさんありがとう!」と言われるような毎日でした。小柄で細身、でもテキパキと動き回り、職員や他利用者への気遣いを忘れず、入浴を勧めると「こんな明るいうちから悪いわぁ」と言いながらさっと入る…まさに「仕事に来ている」というような働きぶりでした。

最期までKさんらしく過ごすために

そんなKさんがある日体調を崩し、胸水が溜まっていると言われ入院しました。働き者のKさんは安静に寝ていることができず、点滴を外し起き上がろうとしてしまうため退院することとなりました。その時に診断されたのが、ステージⅣの肺がん。タバコも吸わないのになぜ…。

退院したEさんは少し弱ってはいましたが、また小規模Eに来ることができました。今までと変わらず、施設内を歩き回りあちこちの部署に顔を出すKさん。しかし「なんか苦しいのよね」と少し動いただけで息切れがするようになり、病状の悪化が見られるようになりました。小規模Eのケアマネだった私は、現場主任と一緒に息子さんと話し合いをしました。このまま病状が悪化した時にどうするか? Kさんにとって何が必要か?

私たちと息子さんは「最期までKさんらしく、小規模Eで過ごす」で一致しました。入居のサービスではないけれど、何年も毎日を過ごしてきた場所。「仕事」をするうちに仲良くなった人。息子さんは「小規模Eに行かない日の母は、部屋で正座をしてじーっと動かないような状態。それが行けばイキイキと過ごしている。母にとって、ここは家以上に家で、皆さんが家族以上に家族なんです」と。小規模多機能でのお看取りに向けて、動き出しました。
と言っても、他の職員や利用者さんにとっては何も変わらない日々です。次第に歩くこともできなくなり、Kさんの移動は車いすになっていました。仲良しのMさんが「私が手伝うわよ」と何かと気にかけてくれます。

ケアマネとして、訪問診療の医師とも連携をしました。万が一の時は小規模Eに駆けつけてもらえる安心感を得て、呼吸が苦しそうになってきたKさんのために在宅酸素を導入してもらえました。 宿泊の部屋だけでなく、小規模Eのみなさんが日中過ごすリビングにも電動ベッドを移動させ、みんなのいる場所でいつでも休めるようにしました。ご家族がいつでもいられるようにし、食事の時間はみんなとテーブルにつきます。今までと何も変わらない光景です。

あごを上げて苦しそうに呼吸をするKさんのために、ヘッドサポートのあるティルト車いすも手配しました。隣にあるいつも行っている公園へ、ご家族が車いすを押しMさんが酸素ボンベを引いて散歩にも行きました。ご家族から「母と仲良くしてくれたMさんとこんな時間が過ごせて嬉しい」と言われたのをよく覚えています。

翌日が休みの予定だった私が、宿泊の部屋への移動のため車いすを押し2階に移動した時。目の前の窓に、本当に綺麗な夕焼け空が広がっていました。「Kさん、夕焼けがすごく綺麗ですよ!」と伝えると、苦しそうにしながらも少し目を開け、うなずいてくれました。
その翌日のお昼時、Kさんは息を引き取りました。休みだった私に来た電話によると、いつも通り昼食準備をするテーブルにつき、目の前のホットプレートでは炒め物をしていて、みんなのワイワイとした賑やかな声を聞きながら、静かに呼吸が止まった、と。

すぐに小規模Eに駆けつけ、最後の診察をしてもらい、お着替えや身支度をご家族と一緒にさせていただきました。事前に葬儀等についても話をしていたので、スムーズにお迎えが来ました。お棺に寝ているKさんの周りに、小規模Eの利用者さん1人1人がお花を添えていきます、重度の認知症がある方も、神妙な顔で手を合わせていました。
出棺の時は、「Kさん出発します!」と主任が声をかけ、デイの部屋を通りました。誰もが手を合わせ、Kさんを見送っています。仲良しのMさんは火葬場にも付き添わせてもらえました。

全てが終わった後、「これ以上ないぐらいKさんらしい看取りができた」と心から思う自分がいました。自宅だけが家ではない、これまでKさんとご家族と過ごした信頼と理解があったからできたことだ、と。そして、自分が手配したことでKさんが少し楽になり、ご家族はかけがえのない時間を過ごし、私たちにとっても素晴らしい経験となったことで「ケアマネとして関われて良かった」と思えたのです。今までなかった、「マネジメントとしての関わり」ができた達成感でした。

Kさんとの関わり後、施設ケアマネや別の小規模多機能ケアマネも経験しました。Kさんから教えてもらったことがいつも私の中にあり、何回かお看取りの関わりもしました。家族との話し合い、医師や看護師、スタッフとの連携、福祉用具の活用…。
それでも、悔やむことはありました。Fさんというガン末期の男性が「お風呂に入りたい」と言われました。私と看護師で機械浴介助をできそうな時間があったのですが、Fさんは少し熱があったので大事をとって…と入浴は見合わせ、清拭にしました。しかしその晩、Fさんは亡くなってしまったのです。こんなことなら希望を叶えてあげたかった。今なら、少し熱があるぐらいなら!と押し切れるかもしれませんが、当時の私には後悔するしかありませんでした。

最後に

今の事業所は医療法人が母体で訪問診療をメインにしているため、ガン末期やお看取り対応の方を担当することが多くなっています。
同じ病気でも経過も期間もそれぞれ、看取りに向かう道筋や過ごし方もみなさん違います。ご本人が理解していることもあれば、知らされていないこともあります。

どんな場合でも私は必ず「どんなに考えて、良いと思って決めて、最期までやれることをやっても、後悔はします。正解はないです。私は、後悔を一つでも少なくするためのお手伝いをします」と伝えます。どんなに献身的に看取っても「もっとこうしてあげれば良かった」と悔やむ方を見てきたので、言わずにはいられないのです。

今後このようなことが予想されます、ここは決めておいた方がいいです、といったこともできる限り具体的にお伝えしています。その時が来た時に慌てなくていいように、知っていると知らないでは心構えが違う、今までの関わりから得たことです。
そんな時には、KさんやFさん、今まで最期に関わらせてくださったみなさんが「これを伝えてあげて」「家族にはここをわかってもらった方がいい」と私に教えに来てくれている、そんな感覚があります。みなさんからいただいたものを他の方にもお渡しすることで、恩返しができているといいな、と。

Kさんのことは環境や関係性があってできたので、同じようにはなかなかできないのは十分わかっています。それでも私をケアマネにしてくれたKさんのことは、あの日一緒に見た夕陽とともにいつまでも心に残り、今の私を支えてくれています。
お看取りの方だけでなく、これから関わる全ての方のお役に立てるよう、これからも努力していきます。

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